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Makoto Motokura
元倉 眞琴   建築家

赤い糸

たしか大学4年の時、友人に誘われて宮益坂から八幡通りをトコトコ歩いて、出来上がったばかりのヒルサイドテラス(1期、A棟、B棟)を見に来たことがある。幼稚園から大学まで台東区で済ませてしまった私には、代官山は全く縁のない異郷の地であった。何かボケーッとした風景に「東京の近郊」を感じとっていた。その中で、やや場違いにキリッと澄ました2棟の建物がヒルサイドテラスであった。「これがモダンというものか。」出会いは周囲とのコントラストのせいもあって、とても新鮮だった。当然、のちにこの建物と深く関わりをもつことになろうとは思いもよらなかった。

今考えると、まるで「見えない赤い糸」で結ばれていた恋人どうしの一瞬の出会いによく似ている。そしてこのあとの私とヒルサイドテラスとの関わりは、偶然の連続という、ドラマチックなものであった。

再会は2年後に訪れた。1971年、私は偶然にもヒルサイドテラスの設計者の槇さんの事務所に入った。2期(C棟)の実施計画が佳境の段階に入っていた。壁に大きな立面図を張り、槇さんとスタッフ達がさかんにエスキースをしていたのをよく覚えている。そのあと、アーバン・デザインを担当していた私にも、C棟の現場の様子、特に朝倉さん一家の住戸で苦戦していることなどが聞こえてきた。しかし、まだ直接ヒルサイドテラスと関わる機会はなかった。斜向かいの机に座っている「かわいい娘」にすぎなかった。

私の友人が槇事務所OBの遠藤さんのアトリエに加わった。そして偶然にも、そのアトリエがヒルサイドテラスの敷地の中に残っていた古い木造の住宅に移った。(そのすてきな住宅は第3期建設の前に中央林間の地に移築され、幸せな余生を送っている)私は仕事が終わったあと足繁くそこに通った。そしていつの間にか、家具のコンペやアトリエヒルサイドの活動に加わっていた。しかしヒルサイドテラスとは、まだ友人としてちょっと付き合っていた、という程度の関係だった。

槇事務所での5年目、最後の仕事を選択できる機会があった。そして何とタイムリーなことか、ヒルサイドテラスの3期(D棟、E棟)の実施設計を選ぶことができた。D棟の担当だった。本格的な付き合いが始まったわけだ。すぐ一筋縄ではいかないことが分かった。手強い娘だった。

槇事務所を退社したあと、山本理顕率いる「フィールドショップ」のメンバーに加わった。ヒルサイドテラスとの縁は遠くなったが、「赤い糸」は切れていなかった。やがてアジトは参宮橋から中目黒に移った。ヒルサイドテラスに近くなり、ヒマだった私はまた足繁く「3期」の現場を訪ねた。少しずつ立ち上がってくる姿を、坂道を登りながら軽い興奮とともに見続けていた。

そしてこれが偶然の極めつけであろう。「3期」が完成した時、E棟に入居予定のテナントが変更になったため、私たちがE棟の地下に入居出来ることになった。「赤い糸」はもはやしっかりと目に見えるものとなった。

E棟に入って以来13年、多くのヒルサイドテラス関係の仕事をした。「 Egro 」のインテリア。「 moe 」「ヒルサイドギャラリー」の改修。トイレの増改築。いくつかの住戸の改修。C棟の朝倉さん達の各住戸の改修とE棟地下の住宅化。「 SD レビュー」の会場づくり。二度にわたる全体サイン計画。数えあげたらきりがない程である。最大のプロジェクトは「アネックスA棟・B棟」であった。坂の曲がり角にある建築という環境をテーマに考えたものだった。隣接の旧朝倉邸のある敷地が、いつか公園として開放された時に、ヒルサイドプラザの駐車場はメインエントランスとなるように計画されている。私は密かにアネックスA棟をサブエントランスを形成するものとして計画した。

私たちの事務所はE棟からアネックスA棟に移り、そして隣の「ツインビル代官山」に移った。いつかはヒルサイドテラス「本島」への返り咲きをと考えていた時、B棟のメゾネットに空室が出た。実はヒルサイドテラスの中でB棟が一番好きで、「いつかはあのメゾネットに」と密かに狙っていたものだった。この最後の偶然によって私たちはついに究極の落ち着き先を得ることができた。

私にとって、ヒルサイドテラスの中でも「1期」の建築は特別の意味をもっている。それらは、学生の時に出会った新鮮さを思い出させてくれる。その新鮮さは、都市近郊に、それまでの日本の都市にはなかった別のコンテクスト(文脈)と構築しようとしたものに対してであった。メゾネットの都市型住宅の形式とその表現。地下の静かなレストラン。室内化された都市の広場。建物の間のポケットパーク。建物に組み込まれた道、パデストリアン。そして連続する店舗のにぎわい。建築がつくる新しい都市空間と、そこで展開されるであろうさまざまなシーンを、確かなものとして予測していたことがよく分かる。ヒルサイドテラスは、私に建築家の想像力と現実化について教えてくれる。

今、私のB棟のメゾネットからは旧朝倉邸の立派な甓や美しい庭園が見える。すこしセンチメンタルな気分で、赤い糸の縁について一時の時間の旅を楽しんだ。

元倉 眞琴 経歴
1946年 千葉県生まれ
1969年 東京芸術大学美術学部建築家卒業
1971年 同大学院建築専攻修了
1976年 (株)槇総合計画事務所退社
1980年 (株)スタジオ建築計画 同代表取締役として現在に至る
1998年 東京芸術工科大学環境デザイン学科教授

所属団体等

  • 日本建築学会
  • 都市環境デザイン会議
  • 東京建築士会
  • 新日本建築家協会
主な作品
1985年 ヒルサイドテラス アネックス
1989年 池上の集合住宅
NOEビル
1990年 ベルコリーヌ南大沢ガリバーA棟・B棟
1992年 星龍庵
1993年 熊本県営住宅竜蛇平団地
1996年 FH・HOYA-2
福岡大学A棟
1998年 長野市今井ニュータウンF工区
2000年 朝日町エコミュージアム・コアセンター創遊館
2002年 福島県営住宅鳥見山団地
2004年 倉敷市営中庄団地
2005年 東雲キャナルコートCODAN6街区

主な著書

  • 現代建築用語録(共著)(1970年 彰国社)
  • アーバン・ファサード(1992年 住まいの図書館出版局)
  • ハウジング・コンプレックス−集住の多様な展開(共著)(2001年 彰国社)
  • ヴィジュアル版建築入門X 建築と都市(共著)(2003年 彰国社)
  • 集まって住む(2005年 インデックスコミュニケーションズ)
受賞歴
1985年 SD Review SD賞(ヒルサイドテラスアネックス)
1992年 台東区建築景観賞(NOEビル)
1993年 東京建築士会 住宅建築賞 金賞(星龍庵)
1995年 日本建築学会賞―作品部門(熊本県営竜蛇平団地)
1997年 東京建築賞 優秀賞(FH・HOYA-2)
日本建築士会連合会賞 優秀賞(FH・HOYA-2)
1998年 日本建築学会建築選集(FH・HOYA-2)
1999年 彩の国さいたま景観賞(ガーデンアベニュー志木幸町)
2000年 日本建築学会建築選奨(福岡大学A棟)
2001年 インター・イントラスベースデザインセレクション'00
優秀賞 (朝日町エコミュージアムコアセンター創遊館)
マロニエ建築奨励賞(栃木技術センター)
2002年 日本建築学会東北建築賞作品賞
(朝日町エコミュージアムコアセンター創遊館)
2004年 福島建築文化賞優秀賞(福島県営住宅東桜ガ丘団地)
2005年 グッドデザイン賞金賞(東雲キャナルコートCODAN6街区)
2006年 町田市新庁舎建設設計者選定 優秀

HPアドレス http://www.kenchiku-keikaku.com/

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