Home > History > People > 峰岸 壮一
新しくできるヒルサイドプラザでサロンコンサートをやりたいのだがと朝倉兄弟から相談をうけたのがもう5年前のことかと、今この原稿を書きながら改めて驚いている。この代官山ヒルサイドテラスにふさわしいコンサート、室内楽を落ちついてゆっくりホームコンサート形式で聴きたいという主旨で、さらに採算はある程度度外視してもよいという願ってもないものであった。このテの話は年を経るに従って少しずつ初めの条件が変わっていくことがよくあるが、まったく変わらないのはオーナーはじめ関係者の努力によるものと感謝している。
音楽は人間にとって必要な、物心両面の贅沢と考えている私にとって、この話は大変嬉しかった。そして会場の設備・備品等について設計の槇氏、音響の小林・林両氏との打合せで、私なりの理想的な演奏環境についての希望を述べさせていただいた。
企画に関しても、ヴァイオリンの数住岸子、原田幸一郎、ピアノの野島稔を中心とする室内楽グループ〔NADA〕が発足したてで、迷わず彼らにこの話を持ち込んだところ、快く引き受けてくれ、シリーズとして現在に至っている。私は元来、音楽は生で聴く、いわゆるライブが本当で、電気的に処理したLP・CD等はまさにレコード・記録であり、音楽は半分聴き、半分見るものだと思っている。音楽会で他人に気を使い、無神経な人に腹を立てながら聴くのは嫌だといって、家に豪華なリスニングルームを作り一人で楽しんでいる人を知っているが、これは本当に音楽が好きなのだろうかと疑ってしまう。ステージが明るくなり演奏者が現れる、歩き方や表現からどんな演奏をするか期待しながら見る、ここから「音楽」が始まるのであり、プログラムが終わり演奏者が去って「音楽」が終わるのだ。オペラのオーケストラピットで開幕前にメンバー達がザワザワ、ピーポー、ドンドンと指馴らし唇馴らしをしている音を見、聴く時、背中がゾクゾクしてきませんか。
私たちはよく経験することだが、今日はうまくいった、ステージも客席も興奮し大きな拍手もきたそんな演奏会の録音は、案外キズのあることが多い。もちろん私たちは万全を期して練習し本番にのぞむのではあるが、あくまでもこの世界はハンドメイドなものだと信じている。私はこのサロンコンサートで演奏もし、また司会者として「お話」もしているが、いわゆる解説者、評論家としてでなく演奏家の立場で「お話」をしているつもりであり、プログラムも主にロマン派の音楽を中心にしながら近代、現代の作品を聴いていただいている。バルトーク・シェーンベルク・ストラビンスキー等、我々の世界ではもう古典になっているが、「これが限界です」という声も上がっているので、沢山やるつもりはないが喰わず嫌いはやめて是非聴いていただきたい。コンサート後のパーティも楽しく、演奏者とお客さまがワインに酔い、料理に舌鼓をうちながら親しく歓談し、その熱気は夜が更けるのも忘れさせる程だ。これはど贅沢な一夜が日本で他にあるだろうか。この理想的なコンサートを長続きさせるためにも皆様方のご意見をお聞かせくだされば幸いである。
| 1932年 | 東京生まれ |
|---|---|
| 1946年 | フルートを林りり子氏に師事 |
| 1950年 | NHK洋楽オーディションに合格 |
| 1951年 | 東京交響楽団研究員 |
| 1955年 | 慶応義塾大学法学部政治学科卒業 東京交響楽団正団員 |
| 1956年 | 日本フィルハーモニー交響楽団設立に参加 第25回日本音楽コンクール管楽器部門第3位 |
| 1959年 | 日本フィルハーモニー交響楽団首席奏者 |
| 1962年 | マルセル・モイーズに師事 アメリカ・マルボーロ音楽祭に参加 |
| 1963年 | 東京文化会館小ホールにて初のリサイタル |
| 1972年 | 新日本フィルハーモニー交響楽団設立に参加 |
| 1975年 | NHK・TV「フルートと共に」講師 |
| 1977年 | アメリカ(NFA)フルート・コンベンションに出演(サンフランシスコ) |
| 1979年 | 台湾(台北、台中)にてリサイタル |
| 1980年 | アメリカ(NFA)フルート・コンベンションに出演(ボストン) 「夢のシチリアーノ」ソロアルバムをキング・レコードより発売 |
| 1982年 | 「愛の挨拶」ソロアルバムをキング・レコードより発売。CD化され発売中 |
| 1986年 | オーストラリア(NFA)フルート・コンベンションにてリサイタル(ブリスベーン) |
| 1987年 | 台北市・蒋介石記念国立文化センター落成記念コンサートに出演 |
| 1988年 | アメリカ(NFA)フルート・コンベンションに出演(サンディエゴ) |
| 1989年 | 国際耳鼻科学会で「吹奏中の声門動態について」発表(マドリッド) |
| 1990年 | ヨーロッパ・フルート・シンポジウム出演(ニース) |
| 1998年 | 新日本フィルハーモニー交響楽団、現役を退く |
| 2001年 | 楽壇生活50周年記念演奏会を開き、CD「50th Anniversary」4枚組を発売 |
オーケストラ奏者、ソリストとしての演奏活動、FM放送・TVコマーシャルなどでの演奏により、フルートの魅力を社会に広めた功績は大きい。世界各国のフルーティストとも活発な交流を持ち、日本のフルート界を国際的な水準に高める事に貢献している。68年より桐朋学園大学音楽学部にて、72年より88年まで東京音楽大学で教鞭をとるなど、教育面にも力を注いでいる。
現在、新日本フィルムハーモニー交響楽団名誉首席フルート、同財団評議員、桐朋学園大学音楽学部名誉教授、日本演奏連盟常任理事、日本フルート協会会長
神戸国際フルートコンクール、ジュネーブ国際コンクール、ミューヘン国際コンクール、日本音楽コンクール等、数多くのコンクールの委員、審査員を歴任。