Home > History > People > 岩橋 謹次
私と朝倉(健吾)さんとの最初の出会いは今から44年前、幼稚舎の入学式の日である。その日のことは忘れてしまったが、学校からの帰り道に朝倉家があったことから、同じ方向に帰る同級生と共に寄り道をして、公園のように広い庭で遊ばせてもらったことだけはよく憶えている。以来の親友であるが、まさか再び深い関わりを持つようになろうとは思ってもいなかったことである。
10年間の広告代理店勤務から、思うことがあり独立してプランニングとプロデュースを専業とするアスピを設立した。事務所を探しているうちに、朝倉さんから自宅が空くから使わないかとの願ってもないお話をいただき、今のE棟のところにあった日本家屋を借りることになった。ちょうどC棟を建設するところであり、それを契機に朝倉さんご兄弟からさまざまなご相談をいただきながらヒルサイドテラスのプロジェクトに関わることとなった。
A棟1階のプレゼンテーションショップ「BENFATTO」のプロデュース、ワンダーランドファニチャー「パネコ」の企画、テナント会事務局と代官山交歓バザール、ヒルサイドテラス関係者と設立した(株)アトリエヒルサイドとそこを通じた慶應義塾幼稚舎の100周年記念棟、太田幸夫氏とのヒルサイドテラスサインコミュニケーション計画等々、ヒルサイドテラスを通じて出会った数々のプロジェクトは今日の私の基礎をつくってくれたものばかりであった。
さて、永くヒルサイドテラスに身を置き、代官山の変貌に多少なりとも関わりを持ってきた立場からヒルサイドテラスと代官山について、今感じていることを書いておきたい。
ひとつはヒルサイドテラスは多様なメッセージを内包するメディアであり極めて都市的文化性を備えたシンボルとしての役割を果たしてきたという事実である。オーナーとその関係者は寡黙すぎるほど自らを語ることは少ないが、ヒルサイドテラスは、そこへ関わる人それぞれの立場から自由にそのメッセージを読みとり解釈することができる。しかもそのメッセージは時代が期待する新鮮な文化的価値を常に内在させていたということである。この25年間、ヒルサイドテラスはさまざまな人々に注目され、その時代と状況に応じて語られ、時には増幅され伝播されていった。高品質高感度ないわゆる「代官山イメージ」はその結果、形成されたものである。また、そうした経緯の中でこの街に集う人々もその関わりや存在自体がヒルサイドテラスや代官山と一体となってイメージ化し、メッセージとなり、メディアとして機能してきたといえそうである。
もうひとつ特筆すべきこととしてヒルサイドテラスと代官山がさまざまな都市的文化を育成するインキュベーター(哺育器)としての機能と教育学習効果を持っていたということである。もし25年前にヒルサイドテラスが代官山に誕生しなければ、今日の代官山はなかったといっても過言ではない。都市型高感度ショップと称される店舗や都市型サービス業の集積もこれほどには至らなかったはずである。また、この街の成熟に伴って参入してきた新しい店舗や事務所も全てではないにしてもヒルサイドテラスがもたらす都市性を共有し、ひとつの文化圏を形成しようとするかのようである。新築される建築物にしても、多分にヒルサイドテラスを意識し、街全体の景観形成に調和あるいは積極的差異化を図ろうとしている傾向が見てとれるのも決して偶然だけではない。特に注目すべきことは、当初は巨大なオブジェとも見えたヒルサイドテラスに対して認知的不調和を覚えた近在の人々も、いつしか自分たちの街の誇るべきランドマークとして、親しみを持つようになってきたということである。一つの優れた建築物がこれほど街に影響を与え、その街に触れる多くの人々が何かを吸収し、さらに影響を与え合うという極めて好ましい循環、インタープレイがこの街とヒルサイドテラスに見てとれるということである。これは街(建築)が与える教育学習効果といっても差し支えない現象である。
ここまで書いてきて、ヒルサイドテラスのメッセージを勝手に都合よく読みとっていたのは実は私自身ではないのか。またこのヒルサイドテラスで哺育され代官山から多くのことを学んだ当事者は私自身ではなかったのか、という気持ちが強くしてきた。ヒルサイドテラスプロジェクトを通じて出会ったゆるやかでやさしいネットワークから、おそらくこれからも多くのことを学ばせていただくことになりそうである。
25年に渡るヒルサイドテラスプロジェクトは今回の第6期計画でそのハード面は一段落となる。が、同時に大きな変節点を迎えようとしている。考えてみればヒルサイドテラスの25年は私自身の25年ともいえる。何かがおわり、何かがはじまる。そんな予感がヒルサイドテラスと代官山、そして私自身に感じられるのである。
| 1942年 | 東京生まれ |
|---|---|
| 1964年 | 慶応義塾大学法学部政治学科卒業 |
| 1964年 | 広告代理店三晃社入社 |
| 1975年 | 株式会社アスピ設立、現在に至る。 |
| 2005年 | 特定非営利活動法人「代官山ステキ総合研究所」設立。理事長就任。 |
| 現在 | 日本マーケティング協会会員。東京商工会議所渋谷支部。 |
| 1976年 | SDA金賞『慶応義塾幼稚舎100周年記念棟〜みんなのひろば』 |
|---|---|
| 1978年 | SDA賞受賞『代官山ヒルサイドテラス・サイン・コミュニケーション』 |
| 1984年 | ダイヤモンド社経営論文奨励賞受賞『チェンジ・エージェントの時代』 |
| 2006年 | ダイヤモンド社経営論文奨励賞受賞『チェンジ・エージェントの時代』 都市再生・地域活性化・まちづくり部門奨励賞『代官山ステキ総合研究所』 |
1976年ヒルサイドテラス関係者と「アトリエヒルサイド」設立し、A棟でプレゼンテーションショップ「BENFATTO」を企画運営、組み立て家具「パネコ」の開発販売等行う。同時にヒルサイドテラス・テナント会の事務局長を務め、ヒルサイドテラスを会場に1976〜1982年まで毎年「代官山交歓バザール」の企画運営を行う。その後、1996年「第1回代官山ステキ発見フォトコンテスト」、1999年「代官山ステキガイドブック」(1999、2000、2003年)「代官山ホームページ」。「代官山エコモーション」(2005,2006年)等、代官山のコミュニティ・イベントを多数プロデュース。併せて、店舗中心の「代官山ビジネスネットワーク(DBN)」。住民中心の「代官山ステキな街づくり協議会」。NPO法人「代官山ステキ総合研究所」などの街づくり関係組織の設立・運営にも直接関わっている。
専門はマーケティングのコンサルティングとプロデュース。
HPアドレス http://www.aspi.co.jp/