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Kiyoshi Awazu
粟津 潔   グラフィックデザイナー

丘のはずれ

ヒルサイドテラスの仕事は、当初の計画時から槇さんのお手伝いということで、いろいろやってきた。サイン計画が主であったが、床面タイルや美容室のガラス面、ウオール。のちになって、フェスティバル用のバンナーやらのぼりというのか、ハタハタした風になびくものまで、いってみれば、建物の小道具といったものまであった。

そんなわけで、朝倉家との付き合いも始まったわけだが、施主の朝倉さんは、お会いするたびに濃紺の紬の着物をめしていて、帯に手をつっ込みながら、ゆるやかな態度で私たちに応じてくれたのが、奇妙に印象にのこっている。「この辺には、昔、水車が廻っていたんですがね。」と言ってご先祖様の話をしてくれたが、私も目黒に生まれ育ったので、少年期戦後間もない頃から、目黒、恵比寿、渋谷あたりの風景をスケッチして歩いていたので、なつかしいところでもあった。そこに、ヒルサイドテラスの計画が進んでいったのである。

槇さんは、ことのほか、この計画には力を入れていたが、例によってスケッチをしながら、この計画の小さいが、長期にわたることを私にわかりやすく話した。コンクリート打ちっぱなしの建物は、そう珍しいものではなかったが、建物のラインを強調して、こうしたハウジングとマーケットが、槇さん流のスタイルでゆるやかにできあがっていった。A・B棟が完成したのが、1969年であるから、すでに四半世紀も前のこととなる。もうそんな時間がたってしまったのかと、建物の前をぶらりと歩いて思った。

A棟入り口に欅の木があり、今は無いが、多彩色のサインを設置した。当時としては、風変わりなものであったのか、いくつかの雑誌に紹介されたり、美術評論家の高階秀爾さんが、芸術新潮で、ほめてくれたのが記憶にのこっている。また、当時、浜口隆一さんが、都市におけるサインに着目して、新しくサインデザイン賞の設定をはじめられ、その第1回であったか、その次の年であったか忘れたが、最高賞ということになった。虹色の6色を配したオブジェのような立木のようなもので、少々サイケデリック調で珍しかったのかもしれない。B棟の方では、内庭の床面タイルの色彩を決めることになって、赤白を配し、いくつかの陶器の椅子を配した。陶椅子はよかったが、床面は失敗であった。天気の日はよいが、雨が降ると滑るので困っていると、長男の徳道さんから電話があった。雨の日そこに足を踏込むと、たしかにツルツル危ない。心配事が、またひとつ増えることになった。そんなこともあったので、当時は、ヒルサイドテラスにはよく出かけた。それからC棟ができ、D棟E棟。数年前ホールの完成をみた。

はじめに槇さんが、この計画が長期にわたると言ったのは、約20年ということで、考えてみれば、今時珍しい計画であったのだろうか。A棟入り口の欅が大木になった。最近のAERAの表紙を飾った槇さんの顔のアップを見て、メタボリズム以来、いろいろと仕事をしてきた私にとって、槇さんの顔、眼鏡の中の瞳が、小さな光を放っているのがわかった。建築家というのはソルター・グロピュス以来、私にとって尊敬すべき人々である。それに、いよいよF・G棟が完成する。施主・朝倉兄弟も徳道さんの方が心臓があまり良くないのでという話を聞いていましたが、とうとう建設の終局を迎えて、ホッとした溜息でもしているのではないかと、密かに心中をうかがうところだが、時々は絵でも書いて楽しんでおられるようです。弟さんの健吾さんがいるからなにも心配することはないし、槇さんが、あれだけ現場に足を運び、執着した仕事であるから立派にのこる、地味ではあるが良い仕事である。

25年前は、この附近は、人影もまばらで、ブティックやレストランなども初めから上手にいったわけではなかった。いろいろと手をつくしても駄目な時は、駄目であった。しかし、今となっては、ヒルサイドテラスの計画は、この附近ではトコトンうまくいったというべきだろう。ヒルサイドとは「丘のはずれ」のテラスということだろうが、「はずれ」じゃなくて当ったのである。そんな風に思えば、気分もいい。

私が紹介してできた「ヒルサイドギャラリー」なる小さな画廊も面白い企画展をやったりして、「丘のはずれ」のテラスの様子を引立てているのもいい。いずれにせよ、気のきいた若い人が出入りしているテラスは、ホッとする佇まいがあって、好きな空間ということになる。

粟津 潔 経歴
1929年 東京生まれ
1955年 日本宣伝美術会展・日宣美賞受賞
1958年 世界フィルムポスターコンペランス最優秀賞などを経て
1960年 建築家たちと「メタボリズム」結成。
1969年 粟津デザイン研究室 <現(有)粟津デザイン室>設立。

デザイナーとして活動する傍ら、建築・音楽・文学・映像など、さまざまなジャンルを超えたアーティストらと共に制作活動を行い、その作品暦、及び発表は多岐に渡る。

また、各種博覧会・博物館の基本画設計、及びディレクションなどを行う。
「デザインの発見」「デザインになにができるか」など著書多数。
主な受賞暦は1969年映画「心中天網島」美術で伊藤喜平朔賞、1970年ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ銀賞及び特別賞など。

HPアドレス http://www.kiyoshiawazu.com/

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